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コラム5:ありがちな質問に対し全力で応える



 路地裏のようなジャンルを扱うサイトを運営していると

「心霊スポットで撮った写真に霊が写りました。呪われるのでしょうか?」

といった質問に遭遇する機会が非常に多くなる。
 その多さは、別に“耳にタコができる”ほどでもないが、それでも「またですか…」といった心境には、正直なところなってしまう。

 つい先ほども、似たようなメールが携帯版を介して送られてきた。原文のまま掲載すれば

「すいません。今日矢板トンネルいってきたんです。そしたら写メに心霊写真がうつったんです。とった自分は呪われるんですか?」

といったものだ。この文章を“まとも”に解釈すれば、携帯電話の写真機能により撮影された写真に“心霊写真”が写ったということになる。そこで私は、ついつい

「矢板トンネルに心霊写真が落ちていたのかな…」

なんて考えてしまうのだ。これは人為的行為といえ、またそのような物騒なものを、わざわざ心霊スポットに破棄してしまうとは、何とも卑劣でトンチの利いたものだと呆れてしまうのである。

 もっとも、上記の質問は「まともに解釈」とは書いたが、偏屈な私による「偏屈な解釈」でしかないと思う。文面から察すれば、要するに心霊写真が撮れてしまったのだと解釈するのが普通だろう。

 しかし、質問はされたのだが、その霊が写ったと思わしき写真が送られてきた訳ではない。また、その写真が確実に心霊写真であると鑑定されたものであるのかも不明である。
 こういった質問に対する返答は、実に難しいのが現状だ。
 といって、その写真が送られてきたとしても、また返答に困ってしまうのも現状である。

 その様に、困難の付きまとう様な質問には、返答しないようにしてきた。
 そもそも、全てにおいて“自己リスク”を大前提とするのが「路地裏」なのだから、何かあったところで返答する義務もない。
 もっとも、義務だ何だといってはいるが、要するに応えるためには膨大な理由を書かねば、その全てを伝えることはできないし、それはぶちゃけ“面倒”だから避けたのが本当の理由であるのは隠さずに書いておく。
 また、膨大な文章にて伝えたとしても、恐らく読む側としても、それを読破するのは面倒な作業であると思われる。ここも、ぶっちゃけて表現すれば

「こんな長い文章を読むのは面倒だ!」

といった具合だろうか。
 しかし、面倒だから書かないというのは何とも物ぐさな考えだし、読まれないとしても提示しておく必要性もあるのではと考えられる。
 そんなところから、その返答に困難な質問に対し、全身全霊を込めて答えてみた。
 また、個人的なことではなるのだが、事情により現在膨大な文章を作っている最中でもあり、こと文章制作においては“脂の乗っている環境”でもある。

 そんな条件化も手伝って、書きあげた文章を、以下より紹介する。
 基本的には他人に対する返答文なので、いわゆる「です・ます調」であることを、予めご理解願いたい。
 また、以下の文章は携帯版サイトにおいての「Q&A」にて掲載されている原文を、そのまま流用していることも、併せてご理解いただきたい。



・質問

「心霊スポットで撮った写真に霊が写りました。呪われるのでしょうか?」

・答え

まず、写真に写り込んでいるものが、霊かどうかの判断が必要でしょう。自己判断によるものであれば、より的確な判断の出来得る人物に鑑定を依頼するべきでしょう。それは要するに、霊的な能力の高い人物であり、分かり易く書けば「霊能力者」となります。

なお、当サイトでは心霊写真と思われるものについての鑑定作業は、現時点ではおこなっておりません。また、霊能力者の紹介も、現時点においてはおこなっておりません。

霊だと確実に判断されたことを前提に、上記質問の「呪われるか」という部分を答えるならば、当サイトからは「ケースバイケース」と答える他ありません。過去の事例から判断しても、呪われる場合もあれば、呪われない場合もあるからです。

余談ではありますが、当サイトのおいては心霊スポットに訪れる行為を推奨はしておりません。また、それでも訪れた際における様々なトラブルに対しては、あくまでも自己責任の範囲でお願いしております。

自分が撮影したものであれば、それなりの自己判断により、ある程度の予想をたてて、対処したりすることはあります。それはあくまでも自己責任における判断であり、何が起きたとしても「自分の責任」という考の基による行動となります。しかし、これが他人となれば、当然私の自己判断における責任問題の範囲を超えてしまいます。

上記の考え方は、何も私に限ったものではないと思います。対人関係における責任問題は、必ず配慮した上でおこなうのが世の中だと思うからです。例えば、誰かが万引き行為という犯罪を行ったとして、捕まった際の供述で

「あの人が万引きは犯罪じゃないといっていたから私の行為は犯罪じゃない」

と、自分の無罪を主張したところで、それは無罪とはなり得ないでしょう。また、世を乱すような嘘を教えた人物に対しても、それ相応の責任問題は発生するはずです。極端な例えをしましたが、無責任な情報や知識を軽率におこなうことが、極論からいえば世を乱す行為にもなりかねません。そのような考えから、少なくとも私は、そのような行為は避けるべきだと考えております。

先に「極論」と書きましたが、極論からいえば「心霊スポットを紹介する行為」も、突き詰めていけば無責任な行為とも捉えることができます。しかし、この民主主義社会における日本においては「表現の自由」という考えもあります。その「表現の自由」という考えのもと、私は心霊スポットと呼ばれる場所における様々な情報に目を向け、そこから見えてくる悲しい出来事を得て、時に実際に訪れて現地取材でしか感じ取れない独特の雰囲気を身体に染み込ませ、その上で自分なりの言葉でサイトなり書籍などで表現しています。

それにつき、様々なトラブル、即ち責任問題は、当然自分自身が負うことになります。それは例えば、他人から情報提供があった場合における取材においてもです。

「あの情報提供のおかげで最悪の霊に憑依された」

といった具合の文句を付けたところで、その責任問題は私からは完全になくなることはありません。自ら選択した行為とは、その自らにも責任問題が発生するのは当然のことなのです。上記の例えからすれば、本来ならば情報提供者サイドにおいても、その責任問題は発生するものです。しかし、それに対し私は、貴重な情報を提供して下さった方に対し、そういった苦情をいうことはありません。やはり、情報提供とは有難いものであるし、また結局

「行かなければ済んだことじゃん」

という簡単な発想が出来るとおり、そもそも他人に押し付けるような苦情とは、最終的には行動を起こした自分自身に、その多くの責任は発生するものだと思います。私のサイトの冒頭には


当サイトでは心霊スポットに訪れることを推奨しておりません
また、訪れた際における一切の責任は、当サイトでは負わないものとします


といった注意書きがされています。これは、砕けた言葉で表せば


「心霊スポットに軽率に行かないで。何が起きても私は責任を持ちませんよ。」


ということになります。私は、心霊スポットに出向いた際の責任は私自身にあると判断し、その自ら選んだ行為による多くの問題は自分自身が負うものだと決心しての行動です。これも極論からいえば「死んでも自分の責任である」という意思を持った上で、「表現の自由」のもとに現地取材をおこなっております。

これはどういうことかといえば、霊に憑依された結果に命を落としても自分の責任であり、また現世の人間に殺されたとて、その責任問題は私にあるとの考えに他なりません。そもそも、現地における霊的な情報を知り、また伝えたくて現地取材を自ら進んで行動に移しているのが私です。即ち


「そこで起こる全ての出来事を体感せずして物は語れるか」


という考えがあるからです。それは要するに、身を守りながらの取材は、こと私に限ってはフェアではないということです。

そのかわり(というのも妙なのですが)、これだけ自分の身を晒して接しておきながら、その矛先が他人に及んだ場合には、私にも考えがあります。ありとあらゆる手段を身につけ、その霊と対峙する覚悟をもって接することでしょう。もっとも、「出向いたのは私だ」という確固たる事実がある以上、やはりその矛先は私に向けられるのは道理であるだろうし、そのことを踏まえてくれているのか、その被害は他人に及ぶことは今のところありません。

要するに、私自身は「死」すら覚悟しての取材を行っています。その考えをもって行動する私が、その考えを他人に押し付けられるだろうか。そんなことはできません。命とは掛け替えのないものであり、また誰のものでもない自分自身のものです。ましてや霊という「死から始まる世界」を扱っている私としては、その想いはより強いものです。それを捨てる可能性すら示唆する心霊スポットへは、やはり行けとはいえないですし、またそれでも行った場合には、その相手の命の責任は負えないのです。

長々と書きましたが、当初の質問も、ここまで読んでいただければ、ある程度の答えは自分自身で見つけることが出来ると思います。要するに、自分自身で対処法を探していただくのが、当サイトの趣旨です。

霊が出る可能性もあり、また憑依される可能性もあるのが心霊スポットなのです。また、霊の出現パターンも様々で、時に目の前に現れたり、時に心に入り込んだり、はたまた写真媒体を介して現れることもあるでしょう。そのような可能性を秘めた場所に出向いたのは、紛れもなく自分自身ですし、いかなる場合においても、その行為を回避する手段はあるはずです。

また、それらの可能性を拒むならば、訪れる行為自体を避ける他に、心霊写真を撮影した上での憑依現象が嫌であれば、写真を撮らなければ良いし、憑依されるのを拒むならば、予めお祓いをするなりの手法もあります。また、起きてしまった場合においても、何らかの手段は存在するし、それらは事前に知識として得ておくことも可能です。要するに、お祓いを受けるとか供養するとかいった手法です。しかし、それらの知識に対する助言や霊能力者の紹介は、責任問題のもと、当サイトではおこなっていないということになります。

もし、上記のリスクに対する確実に身を守れる手段を、私の責任問題において対応できる範囲のなかで返答するのであれば、


「私が死をも覚悟して訪れる心霊スポットに、私と同等の覚悟を持てぬのであれば、それは行かない方が賢明だろう」


としか言えません。その上で、サイトのトップにあるような注意事項が掲載されている訳でございます。あの注意書きの裏には、このような意味合いが隠れていることを、どうぞ理解していただきたいと切に思います。



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