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コラム7:メディアに対する仕事内容の一部
“善波隧道”



 ここ近年は減少の傾向にあるのだが、サイトを運営していると、時にメディアからのご依頼が舞い込んでくる場合がある。例えば

「××の心霊スポットを詳しく教えて下さい」

といった具合だ。
 そういったご依頼があった場合には、出来得る限りの情報をまとめた上で、その情報を提出するのが私の流儀だ。ガッツリと作り上げ提出し、その末に無報酬となると精神的ダメージは大きいのだが、それも経験と割り切りデータを作る。

 今回紹介する情報も、そんなご依頼を受けて制作したものだ。神奈川県は「善波トンネル」の情報であり「準一君道路」といった方が分かり易いかもしれない、あの現場における情報だ。以前より様々な情報が寄せられていたので、調べ直したいと常々考えていただけに、良い機会だと解釈して力を入れて作成したのを覚えている。

 とはいっても、限られた時間内で作ったものなので、誤字や脱字、また表現のおかしな部分も多々あるのだが、私の仕事っぷりの記録という解釈のもと、そのまま掲載しておくことにする。

 なお、このテキストは、先方様へのメール送信日から察するに、2007年2月に書いたものである。また、途中の体験談は、既に当サイトに掲載されているものだ。諸事情により“信用ある私の友人の体験談”として掲載しているのだが、実は私の体験談であったというのは、ここだけの話である。



・「もう死なないで準一」建て看板の真相

1965年(昭和40)年9月2日に、国道246号線「善波トンネル」付近でバイクとトラックの正面衝突事故が発生した。前方を走行するトラックを、加害者トラックが善波トンネル付近のカーブにて無理に追い越し。その際に、反対車線を走行していたバイクが衝突してしまったというのが大まかな内容だ。そのバイクを運転していたのが「準一(16歳)」である。

現在の国道246号線「善波トンネル」とその付近は、直線道路となっており「追い越しした時のカーブは何処?」と思ってしまうのだが、事故当時の国道は急カーブの多い峠道であった。その旧道は“旧善波トンネル”とともに現在でも確認する事が出来る。事故が起きたトンネル付近とは、現在の善波トンネルではなく、旧道にある「旧善波トンネル」なのである。旧善波トンネルへ訪たら分かるのだが、このトンネルを抜けた先が思いのほか急カーブとなっており、以前より事故は多く、また事故後も相変わらずの多さであったという。

このことを嘆いた準一の両親が、準一の供養の意味を込め、また更なる悲劇を生まぬよう祈り絶てたのが

「もう死なないで 準一」

という現在でも一部では有名な建て看板であった。両親は、準一が事故により死ぬ夢を幾度となく見たという。そのような心境が大きく作用され、このような文字を選んだのだと思われる。交通事故により肉親を失った悲痛な訴えを感じずにはいられない。

この悲痛な短い文章は、経緯さえ分かれば納得のできるものなのだが、何の予備知識のない人々が見れば、ある種の不思議さ、はたまた解釈によっては不気味なものにも思えてくる。そういった部分から、現在聞かれる都市伝説的なものに繋がっていったのであろう。
なお、毎日新聞が昭和41年5月10日に、この看板を取り上げている。奇しくも私の誕生日であり、この3年後の早朝に私が生まれることになるのだが、それは奇遇というより単なる偶然としておこう。

また、準一の事故原因が「暴走行為によるもの」との情報も聞かれるのだが、噂話が人伝に変化していった変化とみて良さそうだ。

なお、1989年に老朽化により撤去され、現在はこの看板を見る事が出来ない。その、「今は見られない」という、ある種のジレンマ的な部分からか、現在では多くの噂が囁かれるようになった。

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・その後の都市伝説

この「もう死なないで準一」という意味深長な看板により生まれた噂は多くある。交通事故の多い峠道であったとは先にも書いたが、その付近では何故か「準一」という名のついた人間が多く死に、そのために例の看板が建てられたという、いわば「連鎖説」が挙げられる。

また、準一の霊が事故現場の道路に飛び出し、何度も死ぬので堪り兼ねて作られた看板であるとか、夜な夜な少年が手招きをし、事故を誘うというものもある。前者は遺族の「夢で準一が事故死する姿を幾度となく見た」という部分から肝心な“夢”というキーワードが抜けて一人歩きしたものに思えてくる。後者は、そういった事故現場で聞かれる都市伝説の、よくあるパターンともいえる。

準一が事故死した現場から、やや視野を広めてみると、「旧善波トンネル」においても霊的な噂話は聞かれる。とは言っても「誰某から聞いた」といった内容が多く、実際に体験した人の数は意外と少ないのが現状といえる。だからといって「ガセだ」とは、個人的に安易に解釈できない部分があるにはある。なぜなら、現地に訪れた際に以下に紹介する出来事が私の身に起きたからだ。

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・旧善波隧道にて

国道246号線、神奈川県は伊勢原と秦野との境に
「善波隧道」というトンネルがある。
今でこそ「新トンネル」が出来上がり道は直線的になっているが、
その昔は蛇行するような構造になっており、
その道の途中に私が体験をした「旧善波隧道」はある。


旧善波隧道といえば、都心から程近く非常にメジャーな…というより
訪れやすいスポットともいえ、人によっては

「大して怖くもないスポットだよ」

なんて言われてしまうと思うかもしれない。
現に私も、そんな軽い気持ちで現地に向かった。


伊勢原側から旧善波隧道に向かったのだが、
途中には廃墟となったホテルらしきものもあり、何とも異様な雰囲気を感じつつも、
その先にあるトンネルへ向かう。
深夜とはいえない時間帯ではあったが、周囲はすっかり暗くなり、
そんな意味でも不気味さを感じつつ更に進むと、目の前にトンネルが現れた。

「目的地に着いたんだな…」

そう思った時、それまでは然程強く吹いていなかった風が、
トンネルの内部から私に向かって吹き付けてきた。

「えっ?」

と思ったのだが、トンネルの構造は真っ直ぐに伸びているので、
単に風が吹き抜けたのだと、その時は思った。
今にして思えば、何とも奇妙な風であったのだが、突然吹こうが何であろうが、
“単なる風”と解釈すればそれまでだし、その時も


単なる風だしな


なんて呟いていたのを思い出す。
しかし恐怖心を煽るのには最高の演出であった。



何度も内部に入るのを躊躇ったのだが、意を決し入る事にする。
内部は相変わらず風が通り抜けているみたいで、

「ゴォー」 とか 「ひゅぅぅ〜・・・」

といった音が鳴り響いていて、
とても平常心を保てるようなものではなかった。


「聞き様によっては人の声にも聞こえるなぁ」


そんな事を考えると、余計に怖くなってくる。
それでもどうにかトンネルの中ほどまで来たのだろうか。
入り口も出口も視界から消え、心細さも限界に来ていたような気する。

そんな時、何気なく風の音に注目してみると、それに混じって
何だか人間の声のようなものが聞こえてきたような気がした。
確かに風の音が人の声にも聞こえるな…とは前々から思っていたのだが、
それとは違う別の音…というか声らしきものが聞こえてきた。


「……よぉ……し……った…ぉ……」


文字にすれば、このような感じだろうか。
言葉にはなっていないのだが、まるで何かを訴えるかのような、
何とも切ない声が遠くから聞こえてきたような気がした。


(これはトンネルから出た方がいいかな…)


そう思い始め、引き返そうと思い来た道を戻り始めた。
ホンの数歩進んだ頃だろうか。
今度は入り口の方から、明らかに風とは違う音が聞こえてきた。


「カラカラカラカラ…」


何に例えていいのか分からないのだが、いま思うと
自転車だかバイクだかを手で押している時に鳴る音に似ている気がする。
もしバイクなどの乗り物であれば、それを押しながら人間が来るわけで、
恐怖心よりも安心するはずだが、その時は意味もなく


「何だか嫌な予感がする」


と、直感的に感じ、戻るのを止め出口に向かって走り始めた。
息を切らしながらも、ある程度走り出口も目の前になったころだと思う。
風の音は相変わらずだったが、妙な声も異音も聞こえなくなり、
ようやく安堵が訪れようとした時、私の頬に


“冷たい感触”


を感じた。
まるで手のひらで頬を


「ぺたぺたぺた」


と、誰かに叩かれたような…しかも生きている人間とは明らかに違う、
異常なまでの冷たい手で叩かれたような…そんな感触であった。
再び襲う恐怖心に、我も忘れその場から逃げるように走り、
国道246号まで逃げていった…。



これが私が体験した全てである。
周囲の噂で「あまり怖くない」なんて言われている場所でも、
タイミングなどの要因により、非常に恐い事が起きるんだな…
と、改めて感じたのであった…。

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以上が現地で体験した全てである。様々なメディアで取り上げられる強烈な霊体験に比べれば比較にならないのだが、空っ風が突き抜ける漆黒のトンネル内で体験したあの感覚は、忘れられない独得なものであった。

旧善波トンネルの坑口付近には、何故かラブホテルが群生している。その各ホテルでも噂が聞かれたり聞かれなかったりする。しかしながら、様々な部分で支障があるので個人的には調べるのを控えている。

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・現地の噂話

先にも、この事故以降に設置された看板から、様々な都市伝説的な噂が持ち上がったと書いたが、その数例を以下に紹介する。どの噂話でも、「交通事故」と「看板」は共通するのだが、その前後に微妙な違いを見せているのが面白いといえば面白い。噂が方々に広がる際に見られる、良く有りがちなパターンとも言える。以下より、その幾つかを紹介したいと思う。

・ケース1
子供が遊んでいる時に車に撥ねられて死亡。以降、子供の霊が飛び出す、交通事故が多発といった噂が流れる。例の看板「もう死なないで〜」を設置後、事故がなくなる。

・ケース2
国道246を横断しようとした少年が死亡。以後、付近を通る車の前に飛び出すようになる。見かねた遺族が事故現場に「準一ちゃん、もう死なないで」という看板を出したところ、現象が収まる。

・ケース3
現地での準一死亡事故後、例の看板を目撃した人々の間で「このあたりに子供の幽霊が現れる」という噂が流れる。奇妙なことに、誰が確認したわけでもないのだろうが、子供の霊の名前が「じゅんいち」であるとの噂がたつ。以降、子供の幽霊が、同じ「じゅんいち」という名前のドライバーを事故に遭わせようとする。

・ケース4
例の事故以降、付近を走行するドライバーが子供を車で轢いてしまうも、確認しても轢いたはずの子供は見当たらないという出来事が起きる。どうやら、おそらく、自分が轢かれて死んだ事に気付かず、幾度も車に撥ねられるのだろうとの噂となった。その事例を知った両親が、死んだことを伝えるために建てたのが、例の看板である。

・番外「看板文字コレクション」
「もう死なないで 準一」
「準一ちゃん もう死なないで」
「準一ちゃん もう他の人を誘わないでください」
「もう死なないで 順一」(名前変化バージョン)


ざっと挙げてもこれだけの噂が聞かれ、更に調べれば、まだまだ出てきそうな気配さえ感じられる。これは、看板が建てられた時期が今から40年以上前という時の流れが成せる業ではないだろうか。人伝えに囁かれる噂話に、その各々の解釈や、場合によっては体験談も踏まえ、時の流れと共に更に多くの人々に語られる。発端となる事故から離れ、そこから一人歩きをし、少々大袈裟な言い方をすれば伝説へと変貌する過程にあるようにも思える。

被害者でもあり、そこに現れる主人公ともいえる準一の霊が、何故か青年から子供へと摩り替わっているのも興味深い。子供と青年の境は微妙といえば微妙だが、にしてもバイクで事故に遭遇した人物が子供と例えられることがあるのだろうか。もしかすると、最初に子供の「じゅんいち」の霊“ありき”なのだろうか。実はバイク事故に遭遇した“準一”は、二次的な被害者であったのだろうか…。時を経た今になり、そんな身勝手なイマジネーションを沸き立たせてくれるのも、この事例ならではである。

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・まとめ(?)

着目すべく視点をやや広げ、善波峠に注目してみると歴史的にも面白い部分がある。この善波峠には、国道246号線の旧道以外に、「矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)」と呼ばれる古道が存在する。この古道は江戸時代に整備された街道であり、東海道の脇往還(わきおうかん)として機能していた。因みに、この矢倉沢往還にほぼ沿うかたちで、現在の国道246号線が通っている。

善波峠に敷かれた古道、矢倉沢往還を進むと、程なくして切り通しが目に入る。交通の利便性を求めた、古の人々のチカラを見る事ができる見事な切り通しなのだが、そのすぐ近くに6基の石仏が存在している。古来よりここを通行する人々の姿を眺め、また旅の安全を見守ってきたのであろう。古の人々の、神や仏との密接さを感じ、それと同時に時代が過ぎ現在となり、利便性を追い求め隧道が貫き今の国道が走る。石仏から離れ、今まで見守ってきてくれた神々から離れた時から、あるいはこの都市伝説は広い意味で始まっていたのではないだろうか。それは恐らく、私の考えすぎである可能性の方が高いに決まっているのは間違いない。しかし、古道となった切り通しから、この都市伝説の発端となった事故を遠くから眺めいたかもしれない石仏は、いったいどう思い感じていたのだろうか。可能であるならば、善波峠に古来より佇んでいた石仏に聞いてみたいと思うが、それは相当な特殊能力を持ち合わせていない限り無理な話だろう。

奇遇なもので、私が最初に現地にサイトの取材で訪れたのは、今から5年前の2月。時を経て、恐らく同じ月に現地に向かうであろうことに、多少なりとも奇遇さを感じる。せめて善波峠の古からの守り神であろう石仏に、これから先の未来の交通安全を祈り、また準一のご冥福を祈り、可能であるならば手を合せたいと思う。


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