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■さて、全開紹介出来なかった「曳橋」を紹介して行きましょう。 因みに「御主殿の滝」へ行く途中、頭上に掛けられた橋がコレです。 分かりますよね?(汗) |
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■橋に到着した私は、時間もかなりロスした事もあり、スタスタと慌てて進む。 中間まで差し掛かり足を止め、降り返り写真を撮影し、そしてまた“スタスタ”と…。 そんな慌てた時には、大抵ロクな事はないモノでして、案の定、雨に濡れ滑りやすい橋の上で「ズルッ」と…(汗) さすがに転ぶまでには至らなかったが、紙一重と言っても良いであろう。 気を抜いていたなら即座に“しりもち”だったと思います。(苦笑) なんてくだらない私事は置いといて…(笑) 以前の紹介で、この橋が登場した時にも若干触れましたが、この橋は当時掛かっていた“本物の橋”の資料が全くない為に復元は出来ず、周囲の雰囲気などを考えて現代人が想像し作られた物であります。 遺跡として残っていた物は、橋の“橋台部”のみであった為、しかたないのであろう。 当時の橋の姿には非常に興味があるが、現代人の作ったこの“曳橋”も周囲の景観を配慮し作られたと言うだけあり、なかなか見応えのある立派な物だと思います。 |
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■橋の中腹にて撮影。 この後あわてて歩いた為に私はコケる寸前でした。(汗) |
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■後主殿に向かうルートは、この橋を通る物と後主殿の滝から上がってきた坂道だけとなります。 しかし私が先程歩いてきた林道は、戦国時代には無かったと言われており、実際は1ルートとなります。 即ち、敵が攻めてきた場合、橋を切り崩す事により侵入経路をシャットアウトする事が出来る訳であります。 “足止め”としては十分過ぎる程の城を守る術と言えますね。 さすがであります北条氏照! 天然の地形を見事に活用していると思います。 そしてこの”トラップ”を突破した先には、登り勾配の非常にきつい山となり、その先にようやく“八王子城”ですからね。 自然の地形を見事有利に取り入れた素晴らしい要塞と私は思います。 しかしこの城は、結局落ちてしまいました。 何故?といった疑問は当然出てくるでしょう。 その辺は皆も知っていると思われますが、単に“人員不足”と思います。 この辺は今後のUP時に改めて書けたら良いな…と思っております。 書き始めるとなかなか終わらなそうですしね(汗) と言う事で「曳橋」の写真を紹介して行きましょう!! |
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■この写真は私がコケた後に撮影した物。 内心“ドキドキ”しながらの撮影でありますが、そんな話は聞いてませんね?(爆) |
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■写真をだいぶボツにし今度は橋を渡り切って撮影。 これまたかなり有名なアングルですね。(笑) |
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■この橋をバッサリと切り離せば、侵入ルートはかなり限定されます。 しかし、橋を切り離す際にも人手は必要であり、この大きな橋を切り離すには相当前に敵を察知せねばならないであろうし、その為にも“監視人”と言う人員が必要となります。 これだけ広大な敷地であれば“伝達係”も恐らく必要であろうし… |
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■何にしてもこの“大要塞”を守り切るには、かなりの人員が必要となってくるでしょう。 八王子城の落城は、こんな要因が大きいのではと個人的に思います。 あ、手前の木の柵のシミが妙…(汗) |
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■で、橋を渡り切り、その先に続く古道を進むのでした。 こ古道も平成元年の工事着工時に新しく整備された道であります。 戦国時代には、この先もっと下流にまで道は伸びていたと言われていますが、この時の整備では全体の調査は出来ず、途中までの再現となりました。 |
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■と言う事で今回はここまでです。 次回はこの“古道”を進みながら撮影した写真の紹介となります。 実はこの道を歩いていると…道のど真ん中にこの世のモノとは思えない無気味な生物を発見しちゃいました!(大汗) 余りの不気味さに思わず写真に収めたのですが…公開は止めておいた方が良さそうですね。(イメージ悪いし) と言う事で、今回はこの辺で! では、次回も是非御覧になって下さい♪ 次へつづく |
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