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■今回紹介する「はねたき橋」に私が訪れたのは、2004年の3月25日。某書籍のための写真を入手するのが大きな目的で、当日は茨城県の「佐白山」、栃木県の「須花トンネル」と巡り、最終的に向かった先が、ここであった。 1日に3県をまたぐ取材も、今になって思えば「無謀なことをしたなぁ」と改めて思うのだが、それでも城跡にトンネル、そして橋というなかなかバラエティに富んだ選出をしたものだと、これまた改めて思う。そういえば出版社から最初の依頼で書籍に載せるべく心霊スポットの選出を任されたときに、似たようなスポットが多くならないようにと、幾つかのジャンルに分けて選んでいった記憶がある。 ジャンルといっても、霊的な分類では決してなく、例えて言うなら上に書いた「城跡」や「橋」、それに「湖」に「トンネル」といった具合である。さすがに読む側からすれば、例えばトンネル紹介ばかりが続く心霊スポットの本は、全く違う意味で寒いものとなってしまうのは明白なので、その部分は、相当気を使い悩みながら選出したのを良く覚えている。 そういった苦労あってか、この日の取材は先に書いたとおりの、少ないながらも様々なジャンルの心霊スポット巡りとなったのだが、しかし取材当日はそんなことを思う余裕など全くなかったのは白状しておこう。 ただただ押し迫る時間に焦りながらの慌しい取材であった。 |
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■この「はねたき橋」は、その筋のマニアの方からすれば非情に有名なスポットだと思う。また、スポットとして噂が囁かれた時期も古く、比較的高い年齢層の方々も存じているであろう。かく言う私も、2007年現在で38歳であり、気が付けば比較的高い年齢層に分類されているのが、悲しくも切ない現実である。 この「はねたき橋」の存在を知ったのは、果たして何時の頃であっただろうか。私のことだから、まず間違いなく故・中岡俊哉氏の書籍により情報を得たのは確実だと思う。若き頃に得た情報なのだが、まさかこの私が書籍の取材として現地を訪れようとは、当然ながら当時の私は夢にすら思わなかった。 その頃に得た「はねたき橋」の情報は、確か貧相な吊橋であったと記憶している。後の現地入り前の下調べの際に再確認し、またその吊橋が、実は1994年に新たに作り替えられ、かつての姿とは全く違う、非常に美しい橋に生まれ変わり現在に至ることを新たに知ることとなった。 かつて様々な噂が囁かれた頃の橋の姿を写真に収めることは不可能であるという現実に、少々悲しくも思えたのだが、「これもまた現実」と思い、また過去を姿を想像し、イマジネーションを膨らませながらの取材も“それも有りかな”なんて勝手に解釈して、この現場をチョイスさせていただいた。 古くから知られているこの橋での情報は、知る人からすれば「わざわざ」とも思うだろう。しかし、それでも知らない人はまだまだ存在するとも思われるので、以下に掻い摘んで書きたいと思う。 先にも書いたが、この橋は1994年に新たに架けなおされた「新橋」であり、それ以前のもの寂しげな吊橋であった「はねたき橋」の頃に、多くの自殺志願者が身を投じた時期があった。ピーク時には3週間で20人近くの尊い命が喪われたというから、正に呪われた橋と言える。 それより、この橋において不気味な噂話が聞かれるようになる。「何かに引き込まれそうになる」といった心霊スポットではよく聞かれるものを始め、「赤子の泣き声が聞こえた」「母親と赤子の霊体を見た」といった具体的といえば具体的な報告も聞かれたようだ。それは、この橋から身を投じた人の殆どが女性であったという事実が、なにより大きな要因なのであろう。 なお、この地で亡くなられた自殺者の霊を慰めるために、高名な僧侶に祈祷してもらった頃を境に、自殺者が次第に減少していったという。そうして月日を経過し、新たな橋に掛け直された現在に見られる姿に至る。 |
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■今はこのような近代的な橋なのだが、それ以前の橋は実に貧相な(というのも可笑しな表現だが)橋であったという。 | ||||||||||
■ということで、そんな過去を持ち、新に掛けられた橋に訪れたのだが、写真を見ても分かるとおり、現地に到着した時にはすっかり日も暮れてしまっていた。 これは佐白山と須花トンネルでの取材が思いのほか時間が掛ったのが大きな原因である。本来は現地の姿を、書籍に掲載するために、より分かりやすくするため、日中の明るい絵を撮影したかったのだが、見ての通り無残な「漆黒の闇」的な画像となってしまった。 「夜間にはライトアップされた」という部分を見ていただく意味では良い写真なのだが、やはり周囲の景観も見せたいと思う上では、やはり昼間の写真が良いに越したことはない。 ■結果として、そんな現地写真ばかりになってしまったのだが、そんなライトアップばかりが目につく写真を以下に紹介したいと思う。なお、現地での雰囲気などの、俗にいう感想などは、最後にまとめ的に書こうと思う。 |
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■橋を正面から見ると、このような感じだ。照明が実に美しく、過去の雰囲気は全く感じさせないと思う。 しかし、私は過去の姿を実際にこの目で見たことはないので、あくまでも推測であることをご理解いただきたい。 |
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■橋の中央には、さり気なくベンチが設けられており、渡良瀬川を望みつつ、川の音味わいつつ休憩することも可能だ。旧橋の頃に起きた現実など、微塵も感じさせない雰囲気作りに、イメージアップの思惑は見事に成功したといえる。 | ||||||||||
■橋の中央より川を望んだ写真である。しかし、深夜に撮影した写真は、明るさを幾ら調整したところで、これが限界である。 「無理な取材はするべきではない」 と、今更ながら反省してやまない。 |
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■橋を渡った先の袂には、このような慰霊碑が建てられている。はねたき橋の建設中に亡くなられた方のものかと思いきや、実は近くに建設された「高津戸ダム」の建設時の殉職者のためのものである。 また、この付近には、これ以外に男性のブロンズ像も存在した。 |
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■これが「高津戸ダム」の姿だ。深夜の闇に浮かび上がる姿は、何気に美しくも見えた。 | ||||||||||
■しかし、美しさでいえば、ライトアップされた「はねたき橋」も負けてはいないだろう。慰霊碑などのある側から見たものなのだが、その特徴的な姿が闇に浮かび上がる様は、独特の美しさを感じてくる。 しかし、旧橋の頃は、この姿とは全く違う雰囲気を醸し出していたのであろう。 |
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■はねたき橋の袂には、このような名称の由来が案内板が設置されていた。何でも 「岩が狭まり水の勢いが急で岩に当って大波がおどり、撥瀧といわれたことから、この橋の名前がつきました」 とのことである。 因みに、奥に見えるのは公衆トイレ。帰路の長旅に備え、有り難く活用させていただくことにした。 |
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■以上が現地の写真の紹介となる。再三書いたのだが、取材時間は深夜となってしまい、周囲の景色を確認することは殆ど出来なかった。付近には「高津戸城跡」もあり、時間さえあれば訪れてみるのも面白かったのだろうが、それも叶わぬ夢となってしまい、実に反省すべく点の多い取材でもあった。 深夜の現地は、静まり返った闇夜に、新たな「はねたき橋」が浮かび上がり、その下からは川の水の流れる音がひたすら響く。それが地方独特の時間の流れにも感じ、心地よささえも感じられた。心霊スポットにおいて「心地よさ」という表現もアレだなとは思うのだが、それでも多くの場所を取材するうち、景観の良さや雰囲気に、心地よさを覚えることは多くある。所帯を持ち、仕事を抱えるうちになかなか訪れることの出来ない海や山々を目前にすると、ついつい「いい景色だなぁ」とか「旅っていいなぁ」などと感じてしまうものである。 しかしながら、このページで「心地よい」部分だけを強調したところで、それは趣旨に反していると怒られそうなので、もう少し“違う”部分に意識を集中して書いてみたいと思う。 季節が3月末ということと、深夜という時間帯ということも手伝い、現地の空気は非常に冷たかった。この冷気を帯びた空気に包まれると、何というか「五感が研ぎ澄まされる」ような感覚に思えてくる。これは個人的な感じ方なのかもしれないが、例えば夏の季節や暖かい環境に身を置いたとき、よく「開放的な空間」といったような表現を耳にする。それとは対照的な気候に身を投じたときに、感覚も全く正反対な、言うならば「閉鎖的」な感覚になってくるように、個人的に思えてならないのだ。内面の感覚が研ぎ澄まされ、例えば普通であれば大したことのない音にも、過剰に反応してしまうかのような…。寒い季節の取材では、どうも昔からこのような心理的状況に、ついつい陥ってしまう。 そんな感覚で、改めて水の流れる音を耳にすると、やはり妙に不気味に聞こえてくるから不思議である。極端な話ではあるが、その流れる音が、かつての自殺者の「言葉にならない悲しき訴え」にも思えてきたりする。 橋の下の川に目を向けても、肉眼では闇が広がるだけで殆どの景色を確認することはできない。この「視界が確保されない」という状況も、心理的にマイナスに作用するものだ。当たり前のことではあるのだが、こと“恐怖”を題材に文を作るのならば、夜の取材は抜群に優れている。 そんな闇に包まれた、橋の下を流れる「渡良瀬川」だが、それでも目を凝らし眺めていると、暗闇に目が慣れ、微かにそ姿が見えてくる。決して水を満々と湛えた川ではなく、川岸などにはゴツゴツした岩が見える、何とも荒々しい姿に感じた。 かつて此処で自殺した方々の、その殆どが女性だとは前にも書いた。自殺が頻繁に起きた時間帯までは確認できなかったのだが、もし、夜間に橋から飛び降りたのなら、深夜には闇と化す下の景色は確認出来ないであろう。運が悪ければ、川ではなく岩肌に激突してしまったのかもしれない。そう踏まえた上で、現地での報告例を改めて思い出すと、恐怖感もまた一層増し、そして悲しみも増してくる。 「赤子の泣き声が聞こえた」 「母親と赤子の霊体を見た」 闇夜の橋の下の川辺に、悲しくもたたずむ母子の霊。その霊の姿は、実は岩肌に体を打ち付けた血みどろの姿なのかもしれない…。そんな想像を現地の橋の中央でしてみると、怖さと共に、妙に切ない、悲しい気分にさせられたのを思い出す。 |
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