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■東京はもとより全国的にも非常に有名な「平将門首塚」なのですが、私が探索を行なったのは、路地裏の更新履歴を見ると2002年7月21日のことになります。 確か都内某所にて夜通しのオフ会が開催され、その帰路の際に地下鉄やJRを乗り継ぎ、この首塚をはじめ、鈴ヶ森処刑場・箱根山などを巡りました。夜通しのオフ会の後の探索ですから、当然一睡もしていない状況でしたので、夏の強烈な日差しと蒸暑さに気が狂いそうになったのを刻銘に覚えています。(笑) |
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■と言うコトで、さっそく現地の紹介をしていくのですが、まず簡単なデータは「戦慄の心霊スポット」を参照して…いただこうと思ったのですが、そちらまでリンクで飛んでいただくのも何とも失礼というか煩わしいかとも思いますので、以下にそのデータを記載しておきます。
というような内容なのですが、それ以外にも「某映画の撮影時にトラブルが度重なった」なんていう情報も聞かれます。 また、「首は3ヶ月経過しても変色せず」と上に書きましたが、その間に 「五体はどこにある」 「繋いでもう一度戦おう」 と唸り続けていたとも言われ、その後に胴体を求め東の空に飛んでいったと「太平記」に記されています。 実際のところは、このような情報は伝説であるのだとは思うのですが、これほどまでに強力な伝説を後世に残す人物であるのだから、やはり凄まじい御人であったのは容易に伺えますね。 |
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■道を挟んで首塚を撮影。 ビル街の隙間に生い茂る緑が、不釣合いと言えば不釣合いですね。 |
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■そんな伝説の地に、完全に睡眠不足な状況で訪れたものですから、何とも不謹慎だな…と、我ながら思いました。 ではなぜ訪れたのか…まぁ特に大きな理由もなかったのですが、せっかく都内に出向く機会があり、なおかつ個人的な趣味とはいえ、このように“心霊”というものに接するようになったのだから、一度は将門殿の首塚の前に立ち、手をあわせるべきではなかろうか…なんて思ったからです。 その目的が果たせたのだから…今回の探索は、とりあえずは良しとしておきます。自己満足的な部分は非常に大きいのですが、月日が流れた現在に、私のような“変り者”が存在していることを、将門殿に見てもらえれば、個人的には満足かな…なんて思っております。 手をあわせご冥福を祈りつつ、「今の時代を生きるTokyo-Powerです」なんて夏の日差しにクラクラしながら心の中で語っていたのを思い出します…。 ■と言うコトで、私の小話はこの辺にして、早速現地の写真を紹介して行きましょう。なお、現地は上の写真でもお分かりの通り、非常にピンポイントな心霊スポットといえます。ですので写真の紹介も実に少なくなってしまう事を予めご了承くださいませ。 |
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■正面から撮影。 右の石柱に刻まれた「将門塚」という文字に、有名な場所に来たんだと実感させられます。 |
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■この写真はウチの心霊写真のページに紹介しているやつと、ほぼ同じアングルですね。 現地を撮影していた時は、すでにその心霊写真が手元に届いていたので、この辺のアングルはかなり神経質になって撮影していたのを覚えております。 |
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■…ちょっと有名すぎるアングルですね。まあウチのサイトも月並みで行こうと思います。(苦笑) | ||||||||||
■現地には、このような説明が丁寧に用意されております。これを読みながら、現地の歴史に浸るのも、なかなかオツなものです。 | ||||||||||
■説明がもう一つ。これは将門首塚の由来が書かれておりますね。当時はじっくりと読まなかったのですが、腰を据えて都内を巡る日が訪れた時には、じっくりと読ませていただこうと思います。 因みに写真中央がやや青みがかっておりますが、ほぼ間違いなく太陽光線の仕業です。 いやいや、将門様が私の進入に対し、威圧をかけていたのかも?(笑) |
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■以上が「平将門首塚」の探索レポートとなります。 実際のところは分かりませんが、平将門の首が東を目指し飛び立ち、やがて力尽き落ちた場所と認識した上で現地を訪れると、夏の蒸暑いなかでさえ思わず冷たい風が我が身を襲ってきそうな…そんな気にさせられました。 2年ほど前の探索だったのですが、非常に心に残る良いものであったと記憶しています。 またこれからも“心霊”に携わることができたなら、いつの日か訪れてみたいと思います。 |
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