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■この「旧御坂トンネル」に出向いたのは2004年4月のこと。書籍での執筆および現地写真の調達のために訪れなければならなかった「西湖」および「青木ヶ原樹海」の取材の際に、 「その取材だけで終えてしまうのは勿体無い」 と思い、急きょ調べて候補に挙がったのが、このトンネルである。なので、正直なところ取材する“材料”が少なかった部分は否定できない。結果として、その詰めの甘さがドタバタを生んだ結果となったのだが、その様を感じ取って頂ければ本望である。 |
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■旧御坂トンネルを、心霊スポットとして認識したのは、上記のとおり西湖と樹海の取材が決定してからだ。なので、私の知識のなかでは相当な“新参者”のスポットといっていい存在といえる。 それでも一応の事前調査は行った。最低限の知識がなければ、現地撮影の際に戸惑うのは明白だし、また現地で重点的にチェックすべき箇所を知ることが、後の原稿作成の際に大きく作用することは、長年のサイト運営において学んだことである。 その事前調査にて浮かび上がった情報を、戦慄の心霊スポットにまとめているのだが、ここで現地の概要を簡単に挙げてみると、以下のようなポイントが見えてくる。 ・峠道 ・旧道 ・旧トンネル ・観光名所 これは現地の現状を挙げたものだが、上の3つまでは様々な心霊スポットに見られる条件と言える。××峠や旧××道、旧××トンネルといったネーミングの心霊スポットは実に多く、心霊スポット好きな人間ならば、知識として必ずこの条件を満たした心霊スポットを1つや2つは得ていると思う。 しかし、4つ目の条件である「観光名所」というのが、どうも引っかかる。確かに観光名所がスポットと呼ばれている事例は存在する。有名なところで「華厳の滝」などが挙げれられるし、先にも登場した樹海なども、観光名所として呼ばれる場合も少なくなく、また人間が集まるための整備もされている。 しかし、それでも正直なところ「観光名所」という部分が、どうしても気になってしまう。別に旧トンネルが観光名所だとしても、特に不思議ではないし、例えば静岡県の「旧天城隧道」などは列記とした観光地となっている。それでも気になるその要因とは何かと言えば、実に簡単なことで 「人間がうじゃうじゃ居たら嫌だなぁ」 といったものである。実に我侭な部分ではあるが、やはり心霊スポットでの取材は静かな環境で行いたいのが正直なところだ。静寂の中に身を置き、その中で感じた様々なものを記憶に留め自宅に持ち帰る。そうして自分のなかで成熟した頃に、文章にしていくのが個人的なスタイルといえばスタイルなので、出来ればその理想に近い環境を望みたいところだ。 しかし、世の中そうそう都合が良いものではないのも百も承知だし、また当日は昼間ではあれ“平日”という条件なので、観光客も少ないだろうという安易な予想もしていた。 話を戻して、この旧御坂トンネルでの先ほどの概要に、その他に霊的なものを付け加えると、 ・首なしライダー ・樹海との関連 ・三角帽子を被った僧侶の霊 ・etc… というのが浮かび上がってくる。このなかで気になるのが、やはり「三角帽子を被った僧侶の霊」ではなかろうか。この余りにも具体的な目撃例は、実に興味をひかれるし、もしこの様なスタイルの霊を目撃してしまったならば、何とも言えぬ緊張感に支配されるのは間違いないだろう。 なお、その他についても少しだけ触れてみよう。まず「首なしライダー」なのだが、これは各地で似たような話が聞かれている。私自身、このような強烈な霊を目た経験はないのだが、確かに一たび見てしまえば、そのインパクトたるや相当なものだろうと思う。 しかしこの「首なしライダー」の事例だが、やはり全国的に似たような情報が存在するのが、個人的にどうしても気になるところだが、その辺はコラムなどで追々突き詰めていけたらと思っている。よって、このページでは多くは語らないでおきたい。 次に「樹海との関連」なのだが、何でも樹海で亡くなられた死者の霊が、このトンネル付近に集まってくるとの話だ。しかし距離的に考えれば、樹海との距離は結構ある。もっとも、“距離”というものが霊に対して作用されるかどうかは疑問だ。 また、霊的な用語となってしまうのだが「霊道」が、この「旧御坂トンネル」付近に存在していると仮定したならば、樹海の霊が集まってきたところで決して不思議ではない。あくまでも霊道が存在すると想定した上での話はのだが…。 なお、「etc…」に当てはまるものとして、「作業中に事故死した(と思われる)者の霊が〜」といったものから、様々な体調変化を及ぼすものまでと様々である。 |
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■「御坂みち」という標識に沿って峠道を進めば、その先に「旧御坂トンネル」に到着する。因みに、画像の左に見えるトンネルは、新御坂トンネルとなる。 | ||||||||||
■少々長くなってしまったが、現地へ向かう道中の取材記に移ろうと思う。 この「旧御坂トンネル」へは、河口湖側から向かうこととなった。即ち、トンネルの南側である「富士河口湖町」から目指したことになる。 国道137号線を北上すると、目の前に「御坂トンネル」が見えてくる。上部の写真が、まさにその場所なのだが、その手前を右折した先に延びるの「御坂みち」を進み、その先に旧御坂トンネルが待ち構えている格好となるわけである。 道中は、まさに峠道で険しく、またトンネルまでの距離も長く勾配もきつい。流石にこの峠道を徒歩で進むのは(時間的・体力的なことを配慮して)断念し、車で向かう事を選択した。 急カーブの続く峠道をひたすら進みつつ、途中での車を止めて道中の姿を写真に収める。4月になったばかりの現地の木々は、葉も殆ど付けておらず実に寂しげだ。また周囲の空気も、季節相応に冷たい。太陽の日差しが射しているので、異様に寒いというわけでもないのだが、それでも時折吹きつける風に、思わず「ぶるぶるっ」と震えてしまう。 早々と道中の撮影を終え、目的地に向かうべく車を走らせた。やがて路上駐車する車の姿がチラホラと見えてくる。目的地は近いと察し、駐車スペースを見つけ、すかさず駐車する。この時点で、すでに何組かの観光客の姿を見たような気がする。 「あれ?もしかして人間が沢山状態???」 というような不安が過ったのを良く覚えている。 当初から抱えていた不安感が、徐々に確信にとなるながら、歩を目的地の「旧御坂トンネル」へと進めた私であった。してその結果はと言うと…それは以下の写真で説明することとしよう。 |
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■「御坂みち」の途中で車を停め、道中の雰囲気を撮影。この様な険しいコーナーが連なる峠道となっており、なかなか走り応えのある道であったように記憶している。 因みに目的が“そこ”ではないので、安全運転での走行に徹していたのは言うまでもない。 |
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■目的地である「旧御坂トンネル」付近に到着。現地は観光スポットとなっているのは認識していたが、にしても平日であるにもかかわらず、この様な人気ぶりには恐れ入った。 勝手な言い分ではあるが、観光バスの姿すら見える賑わいぶりに、正直なところテンションは下降気味であった。 |
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■なお目的地付近には、「天下茶屋」なる建物がある。太宰治が「富岳百景」を書くために滞在していた場所ということだ。 しかし、私の目的は“ここ”ではない。あくまでもトンネルだ。 …それにしてもタクシーの姿まであるとは…。 |
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■私としての目的地である「旧御坂トンネル」の前に到着。しかし見てのとおり、冬季閉鎖期間であった。これは完全な誤算であり、まさにテンションは「落ちるところまで落ちた」といった具合であった。 「ホントかよぉ!!」 口にこそ出さなかったが、心の中でこう叫んでいたのは紛れもない事実だ。 「ここまで来ておいて何をやっているのだ俺は」と落胆しながらの撮影である。 |
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■この日の大きな目的は、後に訪れる「西湖」と「樹海」なので、当地についての“下調べ”は、先に書いたとおり正直なところ甘かった。下調べの重要さを痛感した典型的な事例といえる。 「せめてもの抵抗」ということで、バリケードを越えてトンネルの前に立って撮影した。 |
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■残念な結果となったが、このトンネル坑口より内部を撮影したところで、「御坂トンネル」での取材を終えることにした。内部をもう少し撮影したいところなのだが、決めごとに背いてまで取材するのは主義ではないので、「あきらめが肝心」と自身に言い聞かせた。 因みに、内部に見える人の姿っぽいのは、「三角帽子を被った僧侶の霊」では決してなく、単なる私の影だと思って間違いないだろう。 いや、ホントに私の影なのか??? フラッシュを焚いた私の影が写るはずはないのに… |
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■帰り際に撮影した、現地から望む河口湖と富士山の図。見てのとおり当日の天候は快晴であり、この素晴らしい絶景を眺められたことが収穫といえば収穫であった。 | ||||||||||
■見てのとおり、内容としては非常に良くないものとなってしまったのが、今回の「旧御坂トンネル」での取材だ。敗因は紛れもなく「事前調査の少なさ」である。その悔しさを込めて書いたのが、路地裏の戦慄の心霊スポット:山梨での当地の情報だ。文末に付け加えた 「なお、この旧御坂トンネルは、冬季になると内部に立ち入ることが出来なくなる。実際に訪れる際には十分に気をつけたいところである。」 は、実はこういった経緯のもとに、自分自身に言い聞かせるように、また今後に訪れるかもしれない人のために書いたものだ。 そのような内容だから、現地で“何か”を感じたとかいったものは、今回は全くない。「三角帽子を被った僧侶の霊」なんて以ての外だ。ただ、先の見えないトンネル内部には、異様なまでの好奇心が掻き立てられたのだが、これは単に“無い物ねだり”的な要素だ作用しているのだと思われる。 なお、峠道を戻り、新トンネルを通過して北側(笛吹市御坂町側)からアプローチする選択肢もあるにはあった。しかし、後に控える「西湖」および「青木ヶ原樹海」の取材時間を考慮し、今回は断念することにした。 観光客の楽しそうな話声や笑い声、それに現地の冷たい風に追い出されるように、私はこの地を去ったのであった。今回の取材を「事前調査」の延長として、いつの日か改めて本格的な「旧御坂トンネル」の取材が出来る事を願いつつ…。 |
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