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■この「鈴ヶ森刑場跡」に訪れたのは、2002年の夏。 平将門首塚を訪問し、その次に向かった先がここになります。 平将門首塚と同様に非常に有名なスポットであり、既に訪れたことのある方も少なくないことと思います。また、様々なメディアでも取り上げられられたスポットであり、無数に広がるインターネットの中を検索してみれば、かなりの数の情報が容易に得られることと思いますし、既にご存知の方も多いと思います。 そのような状況下で、情報を公開するもの何だか気が引ける…といいますか“今さら”感が漂う気もするのですが、私なりの言葉でサラリと紹介しようと思います。 |
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■この「鈴が森刑場跡」は、その名称のとおり処刑場の跡地となります。 では何時の処刑場なのかというと、慶安4年(1651年)に開設されたとの事で、廃止されたのが明治4年(1871年)ですから、220年もの間、ここで罪人の処刑が行なわれていたことになります。 処刑者数も、年数に比例してか非常に多く、その数は10万人にものぼるといいますから、単純にその人数を想像しただけでも恐ろしくなってきます。 また、品川区の郷土史資料によると、処刑された者の何と4割は冤罪であったとのこと。因みに、私が住む町の人口が約40万人ですので、その4分の1もの人が処刑されたということになり、その中の4万人の方が“冤罪”であったと思うと…何とも恐ろしくも切なくなってきます。 その様な事実を踏まえた上で訪れた「鈴が森刑場跡」は、夏の日差しに照らされ美しく輝く現地の緑や、今の“時”が平凡に、平和に流行く周辺の景色とは裏腹に、独得の悲しさや嘆きが感じ取れたような…そんな気がしました。 |
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■刑場跡の手前にある歩道橋より撮影。 なかなか上手い具合に歩道橋があったので、上から眺めた写真も容易に撮影できました。 「八幡の藪知らず」も似たような現地状況ですよね。私が訪れた時は深夜でしたので撮影しても“真っ暗”でしたが。(汗) |
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■そんな悲しい歴史が残る「鈴ヶ森刑場跡」での霊的な噂といえば、やはり処刑された人々の霊の目撃となるところなのでしょうが、具体的にそれと分かる目撃談は実は少ないような気がします。 「青白い霊体」や「女性の霊体」といったものが多く、考えようによっては「どこでも聞かれる目撃談」とも言えるものであり、いかにも「処刑された」といえるような分かりやすい姿で出てくるものは少ないと思えます。 もっとも、「私は処刑者だ」と伝えるためだけに出没する霊は、そう多くはないと思います。やはり亡くなられた時の無念さが形となり現れるのであろうと思われ、「その無念さはなに?」と考えれば、上にも書いた「冤罪」という“ぬれぎぬ”を着せられ、無実のまま死んでいった者が多いのではないかと個人的には思っております。 「俺は無実だ」と本人のみが知り得る真実を叫びながらも、誰にも全く受け入れられず、やがて刑に処せられ亡くなっていく人々の無念さは計り知れないものだと思います。自分自身に置き換えてみても、やはり納得なんて到底できるものではないし、死してもなお無実を訴えたいと思いますし…。(あくまでも個人的な意見…というか考えなのではありますが) 上で紹介したとおり、冤罪であった数は4割にもなるとのこと。それだけの数の無念さが、紛れも無い“事実”として残っている、現在の「鈴ヶ森刑場跡」。そう考えれば、霊が出没するのも頷けるような気がし、またそれらの霊に対しご冥福を祈らずにいられなくなるのが、現地に訪れたときの素直な気持ちでした。 ■余談となってしまいますが、この鈴ヶ森刑場跡に程近い場所に、「大井陸上競技場」なんてのがあります。“心霊”とは全く関係のない話題なのですが、私が学生のころ、この競技場で走ってましてね。高校の時に、一番多く走ったトラックだと思います。肉離れで事実上現役を離脱したのも、この大井陸上競技場だったし…。 汗と涙が染み込んだ「青春の思い出」の場所からほど近い場所に、このような悲しい歴史ある場所があったと思うと、当時の肉離れの悔しさも「小さいこと」に思えてこなくもありません。 ■微妙に話が反れたところで(笑)、以下より現地での写真を紹介していきます。 |
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■「東京都史跡 鈴ヶ森刑場遺跡」と書いてあります。東京の歴史を目で見、そして感じ取れる貴重な場所といえます。 | ||||||||||
■別角度から撮影。上の写真の大よそ反対側から写したものだと思います。 因みにですが、この刑場跡は実にコンパクトだったりします。幼き頃に情報だけ得ていた頃は、「さぞ大きな刑場跡なんだろうな〜」なんて思っていましたが、実際は幅が2mほど、長さは…10mあったかな…実際に図ったわけではないので詳細は分かりませんが、とにかく「どデカいな」と感じることはまずないサイズだと思います。 |
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■現在の刑場跡の規模は、上にも書いたとおり非常に小さいのですが、当時はとても大きかったとのことです。 ←これによれば、 ・間口40間 奥行き9間 であったといいます。現在のメートル法で表すと ・間口74m 奥行き 16.2m ということになり、少なくとも「小さいなぁ」と思うことはまず無い大きさであったと言えます。 |
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■有名な首洗いの井戸ですね。 故・池田貴族氏の書籍の心霊写真に、 この井戸と奥に霊体らしき物体が映りこんでいたものが掲載されていたのを思い出します。 あの写真では、井戸のフタが竹でしたが、この写真では金網になっております。 |
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■夏の日差しに照らされ、青々と生い茂った緑が美しく「都会のオアシス」といった感じではありますが、ここは紛れもなく処刑所跡。 その事実を踏まえた上で眺める緑は、どことなく悲しさを漂わせていた気がします…。 |
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■火炙台と磔台の写真です。今も台石が残されております。今でこそ穏やかに見えますが、歴史をさかのぼったこの台石の上では、非常に残酷な処刑方法で亡くなられた方々がいた… そう思うと妙に切なくなってきました。 夏の強い日差しを浴び、むせ返るような暑さの中で、不意に悲しげな風が流れて過ぎていったような…そんな気がしました。 |
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■その台石の前には、一輪の花が供えられていました。古の魂と、現代の思いやりが繋がる様を見たような気がします。 ご冥福をお祈りいたします…。 |
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■以上が「鈴ヶ森刑場跡」のレポートとなります。 結局のところ、ごく普通の紹介となってしまった様な気がしてならないのですが探索しておきながら、なかなか公開できなかったものが、2年以上を経て公開できたので安心しております。(苦笑) |
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