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心霊スポット探索レポート
青木ヶ原樹海:その1
所在地:山梨県南都留郡富士河口湖町
取材日:2004年4月12日
公開日:2009年2月某日

 ここに紹介する「青木ヶ原樹海」に訪れたのは2004年4月。西湖と同日に取材したものであり、その目的も同じく書籍関連での仕事が主な目的であった。
 本来ならば、樹海1つで、それ相当の文章が書けそうなほどに有名であり、また情報も多くある現場なのだが、このときに書いた文章では、西湖に“付随”するような扱いで取り上げるに止まった。機会をみて改めて取材し、何かしらの形に仕上げようといった企みがあったのだが、気がつけばその機会にも恵まれず現在に至ってしまった。
 そのまま機会を待つのも1つの手段なのかもしれないが、とりあえず2ページ程にまとめてみることにした。


 青木ヶ原樹海と聞けば、今や誰しもが「自殺の名所」と即答するほどに“負のイメージ”が浸透してしまった現場といって良いだろう。
 内部に少しでも入ろうものなら、決して二度と出られないようなイメージは、私が子供のころには既に擦り込まれていたし、またこの取材を終えて友人に「樹海に行ってきたよ」と話せば「よく帰ってこれたね」と真顔で言われてしまう程に、入る者を逃さないような恐ろしい印象が広く浸透している。実のところ、私も現地入りの際には少々の不安を、正直なところ抱いていたのは確かだ。
 幼少に擦り込まれたイメージとは、思いのほか大きかったのだろう。

 しかし実際には、樹海内部も遊歩道を歩く限りは比較的安全である。
 そもそも、現地は観光地として整備され、また駐車場なども完備されており、観光客を受け入れる意思表示を完全に表している。むしろ安全であるのが約束されていなければ観光地として成り立たない状況であり、そういった意味でも安心して観光目的として訪れることが可能だ。

 そのような知識のもと、健全な目的で訪れる樹海は、実に心地よい環境だ。天候に左右され、時に“そうでもない”場合もあるかもしれないが、少なくとも春の温かい陽気に訪れた現地は、実に実に気持ちの良いものであった。

しかし、現地入りの目的が変わってしまえば安全度も大きく変わってしまう。要するに、この樹海における“負のイメージ”である“自殺”を目的として現地を利用しようとすれば、内容はガラリと変わってしまうのは容易に分かるだろう。
 観光地サイドとしては、この目的は当然想定外であり、悩みの種でもあるのだろう。現地に建てられた自殺防止の看板などが、木々の木漏れ日に照らされている様が複雑だ。

 
■写真は「富岳風穴」への入口だ。内部へは有料で見学することができる。

せっかくここまで来たのだから、当然お金を払って内部を見学させていただいた。内部は非常に寒く、随所に氷が見受けられたのが印象深かった。

しかし、今回のレポートにおいては、その際の写真の掲載は見合す。気が向いたらブログか何かにUPするかもしれないが、それも未定だ。


 そもそも、私が幼少から抱く樹海のイメージは、前述したとおり「入れば二度と出られない」といったものだ。即ち、樹海内部を彷徨い続け、やがて死へと否でも応でも辿り着いてしまうといったのが、この樹海における私のもともとの印象だ。
 しかし、近年の情報を見る限り、その印象は少々違っていることに気付かされる。どうも、樹海という“死に場所”を選び、そこで首を吊ることによって血流を止め、縊死(いし)によって死を迎えるのが一般的であるらしい。要するに首吊り自殺だ。また、それに薬を併用しているケースもあるらしい。

 このような流れが主流となったのは、1993年7月に発売された「完全自殺マニュアル(太田出版 著:鶴見済)」の発売が大きな要因であるのは間違いないだろう。自殺者の遺品と思わしきものに、時にこの書籍が目に付くことからして、揺ぎ無い事実といわざるを得ない。
 この書籍の売り上げは凄まじいものであった。私も話題に便乗する格好で購入したのだが、発行した年にもかかわらず、私が所持する書籍は既に「19版発行」である。猛烈な売り上げを誇っていたことを物語る良い例ではなかろうか。
 余談ではあるが、この書籍を夜な夜な読んでいると、女房が妙に嫌な顔をする。

 この樹海における取材には、少なからず前記した書籍が影響したのは紛れもない事実だといえる。改めて読み直した上で現地入りした訳でもないのだが、幾度となく読み返した書籍であり、また樹海の項目は好んで読んでいただけに、氏の書籍から得た知識は間違いなく多い。その部分は明記せねばならないことだろう。

 氏の書籍をはじめ、多く見られる情報を吟味しても、この樹海が「自殺の名所」として名を馳せる切っ掛けとなったのは、松本清張の「波の塔」が発表されてからだといえる。1959年より「女性自身(光文社)」にて連載されたのだが、翌年には書籍化され、また映像化もされている。どうやらこの辺に端を発していそうだ。
 もっとも、私個人としては、この辺の知識はまさに“後付け”でしかない。オカルト好きな幼少時代を過ごすうち、知らぬ間に「樹海=魔の森」といったイメージが出来上がっていたというのが本当のところだ。この印象は今も変わらないかもしれない。

 まえおきが長くなってしまったが、兎にも角にも現地入りしたのは前述のとおり2004年4月。写真からも分かるとおり、春を満喫するには十分すぎる絶好の天候であった。

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■富岳風穴への入口脇に伸びた遊歩道を進み、樹海の雰囲気を味わうべく進む。遊歩道を歩く限りは安全なので、余裕を持っての撮影だ。

春の日差しが実に心地よいのは、写真からも何となく分かっていただけるだろうか。
■この写真でも分かるとおり、遊歩道は比較的安定して歩くことが可能だ。間違っても唐突に穴が空いていることはない。しかしながら、妙に興奮して走ったりした場合には、溶岩石につまずいてしまう可能性もなくはない。

あくまでも“遊歩道”であることを念頭に置いておくべきだろう。
■遊歩道より眺めた樹海内部は、概ねこのような景色だ。確かに内部に入ってしまえば方向感覚は麻痺してしまうそうだが、それは他の森でも似たような感覚は味わえるはずだ。
■画像左の大きな看板は、樹海を解説する案内板だ。現地に無知識のまま訪れた際には、必ず役立ってくれる貴重な情報源といえるだろう。

その横にある小さな看板には、命の尊さが県警の電話番号と共に記載されている。
■これがその看板だ。確かに書いてあることは正しいと思うし、基本的には私自身も同じような解釈を持っている。しかし、この世知辛い世の中で、時に魔が差す気持ちも分からないではない。この不景気な世の中においては尚更だ。


 こんな素晴らしい春に、果たして何を現地で感じ取ることが出来るだろうか。それは心地よさ以外には何もないだろう。
 木々の隙間から差し込む太陽光はそれこそ神々しく、また足元には陽だまりが、実に優しい光りを放ちながら浮かび上がる。そのシーンは、とてもではないが私は「気持ち悪い」とは表現出来ない。どう頑張っても無理な相談なので、ここは素直に「気持ち良かった」と単純に記しておくことにする。

 遊歩道を歩きながら、一通りの“気持ち良さ”を味わった後、遊歩道から逸れて樹海内部に潜入することにした。
 遊歩道の心地よさは実に貴重な体験ではあったのだが、それは決して本来の目的ではない。やはり多少なりともディープな部分を確認せねば、ここに取材しにきた意味がなくなってしまうというものだ。

その2へ続く
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