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全くの余談となるのだが、当時の私のスタイルは、黒ジャケットに黒ジーパン、それに黒の皮靴だ。個人的には“いつものスタイル”なのだが、樹海潜入においては全くあり得ない格好であるのは間違いない。 因みに、その「いつものスタイル」だが、路地裏の個人的なページ、つまりプロフィールが掲載されているここで、何となくだが確認することが可能だ。 |
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樹海の内部に潜入する際に、改めて左右を見回してみる。そこには様々な植物が多い茂っているのだが、その内訳はツガ・ヒノキなどの針葉樹が主な植物だ。 しかし、内部潜入の際にはそんな知識が顔を覗かせることはない。ただ少々の緊張感を抱きつつ「すげー木々だな」といった程度だ。 その「すげー木々」が根を張る樹海の大地は、864年(貞観6年)の「貞観噴火」に伴い流れ出した溶岩であり、そのゴツゴツした溶岩石に直接根を張っている。注意深く見渡せば、溶岩の隙間にある少ない土や、朽ちた倒木の上に根を張り、溶岩にはコケが生える様が四方に広がっている。 何所を見ても似たような景色にしか見えない現地は、 「確かに方向感覚はなくなってしまうな」 と納得してしまう程の説得力があった。このまま遊歩道を歩いただけでは、現地取材としては少々味気ないと思い、また「その1」でも書いたとおりディープな部分も確認したかったので、内部に侵入してみることにした。 しかし、そのまま唐突に潜入するのも面白みに欠けるので、ここは前回「その1」でもチラリと紹介した「完全自殺マニュアル(太田出版 著:鶴見済)」の記述に従って潜入してみることにした。 内部の形状は、さすがに遊歩道とは全くの別物だ。溶岩石の凹凸のために起伏は激しく、まともに歩くのもしんどいし、また時折危険な穴も見え隠れする。そんな穴に足を取られたら、大小あれど怪我は免れないだろう。そう考えると、自ずと緊張度も増してくる。しかも、前述したとおり、当時の私は皮靴である。緊張度も3割増といったところだろうか。 |
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■遊歩道から内部のディープさを肌で感じるため、その内部を目指す。本文中にあるとおり、「完全自殺マニュアル(太田出版 著:鶴見済)」を参考に進んだ。横の写真は、そのための第一歩ともいうべき「山道」へ導くべく導だ。 | ||||||||||
この取材において、鶴見済氏の書籍を私は持ってはいなかった。なので、氏の書籍を参考にする場合は、カバーが擦り切れるほどに読んだ、その本の記憶だけを頼りに進んでいかねばならない。当時の私は、 「山道から入り、そこから15分ほど進み、それを右に入る」 と記憶していた。それは後日に確認して間違いではないと判明したのだが、取材のときには半信半疑である。携帯電話の時刻を確認しながら、特に内部の右側に注目して進んだのだが、15分ほど経過した先の右側も、それより10分前に見た景色と何ら変わりはなかった。 「何だかあまり変わり映えしないなぁ」 というのが、直な印象である。 しかしその道中は、なかなか興味深いものであった。基本的に衣類が散乱し、そのなかに例えば古いビール瓶や、新しめのペットボトル、なかには印鑑ケースなどもあり、 「なるほど深刻な不法投棄事情」 と、実際に感じることが出来た。こんなサイトに「ゴミの投棄はやめましょう」といった陳腐な説教なんて書きたくないので、それについては触れないでおくが、やはりマナーとしては決して褒められるものではないとだけ記しておきたい。 様々な投棄物のなかで、衣類の他に目に付いたのは、やはり「ロープ」であろうか。あの、引っ越しに際に役立ちそうな、また古新聞を縛るのに便利そうな、あのロープである。当初は、なぜそのロープがやたら散乱しているか理解できなかった。この原稿を書いている今になって思うと、「さすがトンチの利かない自分」と、思わず情けなくも関心してしまう。 このロープは、内部に潜入しても、無事に戻れるための「命綱」の意味らしいのだ。しかし単純な私は、それを立ち入り禁止区域という意味合いや、分かりづらい山道を認識させるためのものだと、その時は解釈したのだ。 そもそも「保険を掛けての取材」という発想は私にはない。ある意味において非常にリスキーなものを、それも含めて取材しているのだから、そのリスクさえも記述にせねばならないのが本来なのだと私は考えている。それは、言い換えれば「リスクを避けていては記述は書けない」ということであり、その考えの1つが「霊的護身用アイテムは所持しない」というものなのである。時に 「さすがにそれはマズいよ」 といったコメントを多々いただくのだが、それもまた自分が選んだ道なのである。要するに、自分自身が選択した先にこそ、本来求めていた答えがあるのだと、私は信じたいだけなのである。また、他人に言われて選んだ先のミスと、自分で選んだ末のミスでは、その価値観が違うとでも言うのだろうか。 とにかく、枝分れする道を選択して行くのは自分なのだから、自分が納得する道を自分自身で選びたいだけなのである。 とか何とか格好付けて書いてはいるが、実際のところ憑依されるのは怖いし、待ち受けるアクシデントも正直に言って怖い。物凄く怖い。霊的な出来事に遭遇すれば、それはもう胃は痛くなるし頭痛も尋常ではない。また、荒くれた若者ににじり寄られれば、別の意味で胃も痛くなる。そんな時には、前述の考え方なんて、もろくも崩れてしまいそうになるのだが、そこで「ぐっ」と堪えるのが、諸先輩方の語るところの「信念を貫き通す」ということなのだと信じ、あれこれと取材するのである。 話が大幅に逸れてしまったようだ。樹海の記事を書いているのに、何故に「信念を貫き通す」なのだろう。我ながら呆れる他ないのだが、最近の私のプライベートにおいて思うところもあり、こんな事をついつい書きたくなってしまうのである。大変申し訳ない。 長くなってしまったので、残りは最後に書くとして、とりあえず現地の写真を見て頂こう。 |
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■ひたすらザクザクと進んでみた。先ほどの遊歩道とは打って変わって、実に歩きづらい。 「もう右に入っても良いかな」 とも思えるほどには進んだはずだが、念のためにもう少しだけ進んでみることにした。 |
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■唐突に表れた何かを連想出来そうなロープが見つかった。突然の出現に「どきっ」ともしたのだが、ロープの真新しさや、首が掛っていそうな部分から察するに、これで首を吊った訳ではないだろう。 要するに、面白半分の「仕掛け」だと、私は解釈した。 こんな風に冷静に書いてはいるが、いきなり目の前に現れた時には相当驚いた。仕掛け人に軍配が挙がったといわざるを得ないエピソードだ。 |
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■ロープが仕掛けられていた場所から、そう離れていないところで、このような頭蓋骨を思わせる物体が目に入ってきた。これには、相当の恐怖を覚えた。ロープに比べて5倍増しは間違いないだろう。 心臓は「バクバク」状態で、それこそ「見て見ぬふりをしよう」とは思ったのだが、それでは来た意味すら薄れてしまいそうなので、近くまで寄ってみる。 案の定、頭蓋骨などではなく枯れ木に生えた、例えばサルノコシカケのような菌類であった。確認の重要性を改めて知るには良い切っ掛けであった。 |
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■さて、内部に潜入してみると、まずはこのような状況だ。やはり目に付くのは散乱した「ゴミ」である。これらが自殺者の遺品なのかどうか、その判断は私にはでいないのだが、印象としては遺品というよりはキャンプのあとの残骸に思えてならない。 | ||||||||||
■この写真は、果たしてどの辺で撮影したものなのだろうか。写真だけでは判断できない程に、似たような景色が延々と続いているのである。それが樹海である。 | ||||||||||
さて、先に話題が脱線する切っ掛けとなったロープだが、木々に無造作に絡まるものの他に、首吊りを想像させるかのようなものもあった。状態からして、それで実際に首を吊ったとは考えられず、恐らくは潜入した誰かを驚かそうとセットした「仕掛け」だと思われる。 しかし、写真の紹介の際にも書いたのだが、その思惑にはまってしまったらしく、それを見た私は相当に動揺してしまったのである。「思うツボ」とはまさに…だ。また「頭蓋骨のようなもの」に、更に驚いてしまったのも、先に書いたとおりである。要するに私は「腰抜け」なのである。 内部に潜入する際に、鶴見済氏の書籍を参考にしたその真意は、自殺者の気持ちに少しでも近づきたかったからだ。しかし、内部に潜入したところで気になったものといえば、上記したものやゴミのことでしかなかった。まだまだ私は全然ダメな男なのである。 そんなダメダメで、しかも臆病な私だから、周囲の微妙な変化にも過敏に反応してしまうのである。例えば携帯電話の音とか空気の微妙な変化とかだ。この内部潜入時にも、唐突に私の周囲の空気が冷たくなったのは、今でも克明に覚えている。そんな時には、何気に高確率で、妙な出来事に遭遇するものだ。俗にいう「背筋に寒いものを…」といったケースに当てはまるだろうか。とにかく、 「あれ?これは何か妙だぞ?」 なんて思ったのか言葉に発したのか、それまでは記憶していないのだが、それから間もなくしのことだ。目の前の空気が旋風を巻き、葉を巻き上げたかと思うと、その舞い上がった葉が目の前に「パラリ」と落ちたのであった。単なる自然現象でしかないのだけれども、それにしても奇遇というかタイミングが良すぎるというか、兎にも角にもこの取材時において一番緊張した瞬間であったのは揺ぎ無いことである。 実際のところ、あれは本当に自然現象でしかなかったのだろうか?あのタイミングの良さは、あまりにも出来過ぎていあにだろうか。真意のほどは分からないのだが、「あまり歓迎はされていないな」と判断するには十分すぎる出来事ではあった。 その後、早々に取材を終えると決め、内部から脱出することとなった。結果として、無事に脱出は出来たのだが、その際には溶岩石の隙間に挟むし手は擦りむくしで散々であった。しかし、これも自分で決めた道なのである。 心残りといえば、この広大な樹海を、たったの1日の取材だけに留まっていることと、あとは内部に潜入する際に「自殺はダメだよ」と忠告されなかったことだろうか。 やはり私は、まだまた自殺者の気持ちになんてなれていないのだろう。 反省するには良い材料ではあった…。 |
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