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■第三十一話 話し声:その2 |
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目的地に向かうにつき、確実に進むためには、何より“しるべ”に従うべきだろう。実際にこの取材でも、その“しるべ”に従って八丁池を目指したのだが、その標された先に延びる道程は、実に険しいものに見受けられた。どれだけの険しさであったかを文字で表現するのも難しいのだが、例えていうなら “雨水により侵食された箇所を道として使っている” とでも表現すれば良いのだろうか。まるでノミか何かで掘り起こしたかのように山肌はえぐり取られ、そこに大小様々な岩が実に不安定に敷き詰められている。いかにも“大雨によりここまで転がってきた”といわんばかりの不安定さに、 「これって道なのかな?」 と、まずは疑問を抱いた。このしるべ自体が間違っていたのなら、目的地に辿り着くのは困難になることは間違いない。しかし、そんな重要なものが間違いであることは考えにく。もし間違っていたのならば、多くの人々に支障をきたすことだろうし、またそのような場合には即座に修正されるものだろう。また、誰かが故意に無関係な場所に“しるべ”を立てた可能性もなくはない。しかし、目の前の“しるべ”には、そのような細工を施した形跡は見られなかった。 八丁池に向かう分岐点を目の前に、しばらく悩んでいた私だが、葛藤の末、目の前の険しい道を“しるべ”通りに進むことを選択した。因みになのだが、当時の私の格好は 黒のジャケット、黒のジーパン、黒の皮靴、そして取材用ザック である。これから先の道程のことを考えると、完全なる“ミスチョイス”なスタイルである。その筋のプロフェッショナルな方々から「山登りをナメていないかい?」といった具合で怒られてしまいそうな、まったくもって相応しくない装備での挑戦である。 道とは思えにくい道を、大きな岩を足掛かりに進み始める。不安定な岩を踏んでしまい、すっ転んでしまいそうな目に何回遭遇しただろうか。しかし、進むにつれ簡易的に作られた階段や橋も現れ、それが確実に道であることに気付く。多少なりとも安心できた瞬間である。 しかし、かといって険しさ無くなったかといえば、決してそうではない。なかなか激しい勾配と、相変わらずの岩の存在。それに“皮靴”で対抗するのは実に無謀なことであったかは、身をもって感じた部分だ。 全く想定していなかった“山登り”に、徐々に体力を奪われていく。おまけに当日は、朝から全く食事をとっていない上に、食糧や水をザックに入れている訳でもない。入っている物といえば、取材用に作成した簡単な資料と心霊系の書籍多数、それにデジカメと携帯電話である。 何はともあれ、簡単な食糧と水分の常備は、この類の取材においては不可欠 と学習でき、その後の現地取材において変化をもたらした、個人的に実に貴重な取材ではあった。もちろん、良い意味で解釈すればの話であり、もっと事前に調べておけば、こんな不意打ち的な苦悩は味わう必要はなかったのはいうまでもない。 山登りによる肉体的な苦痛に、加えて空腹という実に辛い状況のなか、無言のまま進む。平日のこんな山の中には、人の姿が全く見られないのは、当然といえば当然のことだろうか。孤独といえば孤独に感じたような気もしたが、何より世知辛い俗世界から解放されたような気分になり、苦痛に耐えつつも、独特な心地よさを感じていたような気がする。 そうこうしているうち、前方から人の姿が見えてきた。決して霊とかそんな者ではなく、紛れもなく現世に生きる男性の姿だ。しかも格好は私の姿とは正反対で、山登りに適した素晴らしいスタイルだ。 (やば…絶対に変な目で見られるな…) とっさにそんな事が頭を過りつつも、かといって引き返したり姿を隠したりしてしまっては、それこそ“挙動不審者”でしかない。したがって、そのまま堂々と胸を張って、下山する男性とすれ違うことにした。 「こんにちは〜」 私の方から男性に挨拶を交わす。その男性は案の定、妙な表情を見せつつも 「こ、こんにちは…」 と、目を“ハチハチ”とさせながら挨拶を返してくれた。すれ違ってから、私は後方を振り返ることはなかった。いや、実際には振り返る勇気がなかったとでもいうのだろうか。それは先ほどの男性が、不思議そうな顔をしながら私の姿を振り返っていそうだったからに他ならない。実際に後方を確認した訳ではないので判断はできないのだが、恐らく 「なんだありゃ?」 「もしかして自殺志願者?」 といった具合に思いつつ、私の事を振り返っていたに違いない。何とも恥ずかしい瞬間であった。やはり“それ相応の格好”は必要なのかもしれない…。 そんな“珍場面”にも遭遇しつつも、相変わらず目的地である八丁池に向かいひたすら進む。そうこうしているうち、前方より “女性の声” らしきものが、私の耳に届いてきた。雰囲気的には若々しい声で、話し声が聞こえるということは、複数でいるか、もしくは独り言好きな人間である。まぁ可能性としては前者であろう。 余談だが、私の山登りのペースは、恐らく異様なまでに早いと思う。それは脚力に自信がある訳では決してなく、単に“せっかち”であることに他ならない。要するに 早く目的地に着きたい といった正にそれである。なので、これまた登山家のプロからすれば確実に一喝される部分であろう。ペース配分なんてものは、こと私に限っては皆無だ。 そんな登山としては“あるまじき行為”といえる猛烈なペースで進んでいる訳だから、追い抜くことはあっても追い越されることはまずない。高校時代に富士山に登った際には、前方に人が歩いていようものなら、友人と2人で走って追い抜いたものである。 もっとも歳をとった現在では、流石に走ってまで抜く元気は持ち合わせてはいない。しかしこの“追い抜きたい性分”は相変わらずで、この 女性の声 が聞こえた際にも 「よっしゃ!追い抜いちゃおう!」 と思ったのは間違いのないことである。また、歳はとったといえど、男性として生まれた以上、その若々しい女性の声の持ち主に、多少なりとも興味を抱いたのも、また紛れもない事実であったことも白状しておこう。 相変わらずの険しい道だが、更にペースを上げて歩を進めるのであった。 その3へつづく |
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