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■第三十一話 話し声:その3 |
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“前方より女性の声”と書いたが、実際には私の立ち位置より斜め左前方と表現した方が正しい。山道特有の“九十九折り形状”のせいだろうか、その方向より声が聞こえたような気がした。 実際に、進む道はやがて左側に曲がっていた。なので何も疑うことなく前方に女性がいると認識しながら、その女性に追い付くべく更にペースを上げた。 この頃にふと気付いたのだが、先ほどまで主に岩による悪路であったのが、いつの間にか岩は見られず、それに代わったかのように、今度は“木の根”が剥き出しになり不安定な形状を作り出していた。また、改めて周囲の自然に目を向けると、先ほどまでは主に杉が群生していたのが、ブナやササ、それに百日紅に変わっているのにも驚かされた。 要するに、標高が上がるにつれて、そこに育つ植物も変化している訳であり、その単純で分かりやすい変化に、高くまで登ってきたことを実感するのであった。 「我ながら革靴でよく頑張るなぁ…」 ついそんな独り言をつぶやいてしまうのであった。 先ほどに聞こえた、女性と思われる声は、また私の耳に届いている。相変わらず、何を話しているのかまでは分からないのだが、それでも楽しそうな雰囲気だけは感じ取れた。 「よ〜し一気に抜いちゃうぞぉ」 そんなことを頭の中で思いつつ、その声のする先の道を半ば小走りに進み始めた。 とはいっても、この八丁池には取材として訪れている。なので、道中では写真の撮影なども行わねばならない。なので、小走りに進みなつつ、良さそうな場所に立ち止まっては撮影するという行動を繰り返しながら先に進んだ。こうすると、撮影時には肉体的な小休憩も兼ねられるので、効率が良いといえば良いのである。なので、この取材に限らず、山での取材では、特に意識することなく自然に、上記したようなスタイルでの取材方法に、いつの間にかなっていたりする。思い出されるところで、八王子城跡での取材が、そのような感じであっただろうか。 今回は“行く先に聞こえる声の主を抜こう”という目的があったせいか、その小走り加減も、いつもより早めであった。比較的安全と判断できる場所では、それこそ本当に走っていたような気もする。なので、疲労の蓄積率は、自ずと高くなるのは明らかだ。実際に、中盤以降はそれこそ 「ぜぇぜぇ」 と息切れをしながら進んでいた記憶しかない。 肝心な“例の声”なのだが、そんなスピードで進もうとも、いつまでたっても追いつけない。これは不思議な現象に思えた。というよりは、何とも屈辱的に思えた。これだけのスピードで登っているにも関わらず、一向に追いつく気配はない。ということは、先を進む女性も同等か、それ以上のスピードで進んでいるということになる。しかも、こちらは息切れ状態なのに対し、向こう側は余裕で楽しそうな雰囲気ときたものである。 「俺の体力って女にすら負けちゃうのかよ」 30代も半ばを過ぎ、確かに若いころに比べ衰えには気づいていたのだが、にしても女性に負けるほどとは思っていなかった。これは実に屈辱的であった。 半ば諦めつつも、それなりのペースを保ちつつ、目指すべく八丁池へと向かった。「ヒーヒー」いいながらも現地撮影をしながら進み、気がついた時には女性の声すら聞こえなくなっていた。 「うわ…もう声も聞こえなくなっちゃったよ…」 そんな独り言を、落胆しつつつぶやくしかなかったのである。実に情けないことだ。 しかし、それでも妙に引っ掛かるものがある。というのも、私が進むんだようなペースを、はたして登山家がするのだろうか。こう行っては何だが、当時の私の歩くペースは、登山家に怒られてしまうようなペースだと思う。いくら途中で休むとはいえ、時に走ったり急ピッチで歩くそのペースは、やはり登山と考えれば早い部類なのだと思えるのだ。方や、先に進んでいると思われる人物は恐らく女性。しかも楽しそうな話し声から察するに、少なくとも2人組であるのは間違いない。単独ならともかく、2人組で楽しそうにしながら、あのペースを保てるのだろうか。それは個人的には少々考えられないのではあるが…。 しかし、もっとも後半には「どーでもいいや」といった心境であった。結局のところ、この道を進む限り目的地は同じであるはずだ。そこに辿り着けば、弥が上にもその“声の主”と遭遇するはずである。その時に、どんな人物であったかが分かれば、ある程度は納得できるだろうし、そもそも後半ではそんなことを考える余裕すらないほどに疲れていたような記憶しかない。 要するに「どーでもいいや」以前に、頭の中から“それ”は飛んでいたという訳だ。道中に見つけた喫煙所では、何を躊躇うことなく一服させて頂いたほどであった。 そんなこんなの慌ただしくも納得のいかない登頂も、いよいよ終盤へと差し掛かった。目的地へと誘う“しるべ”に書かれた残りの距離もわずかとなり、また視界を遮っていた木々の隙間から、湖の湖面と思わしきものが見え隠れする。 「ようやく辿り着いたのか?」 そんな言葉とともに、心は妙な興奮を覚えたのであった。 その4へつづく |
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