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■竹の生い茂る空掘を歩き始めたのですが、考えてもみれば二の丸≠見てもいなかったし、それに堀の上にはまだまだ面白そうな物が多くありそうな気もしましたので、堀から一旦上がり、周囲を歩き始めると… |
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■そこには櫓台≠ニ書かれた案内板がありました。 その案内板は、一応写真にもおさめ、下にUPしているのですが…圧縮した写真では、何が書いてあるのか全然分からないので、ここでご紹介させていただきます。 櫓台(やぐらだい) 櫓(やぐら)は矢蔵すなわち兵庫や高櫓(こうろう)、井楼(せいろう)と呼ばれる「火の見やぐら」のような見張台を言います。 そして、近世初期(15〜16世紀)の、成熟の天守閣の一源流とも考えられます。 天守のない時代に、展望を目的とした櫓台が、あったと思われます。 ・小机城址市民の森 櫓台=@案内板より引用 と言う事です。 因みにこの小机城址を散策する上で、より楽しい物にしてくれる、この案内板ですが、実は随所に設けられております。 それを一つ一つ見てみると、実は同じ物を解説していたりします。 とは言っても、解説文が全く同じなのではなく、その案内板ごとに違った内容が記されており、なかなか開きさせない仕組み≠ニなっております。 あ、表現が違うな… 「より多く見ることで、知識が増えていく」 と言った方が良いですね。 とにかく、多くの案内板が立てられており、とても参考になるのですが、残念な事に、その案内板に「いたずら書き」がされていたり、倒されていたり割られていたりするものが目に付きました。 割れた物や倒された物に関しては、とりあえず読む事は出来るのでまだ良いのですが、銀色のスプレーで文字を隠してしまうのは勘弁して欲しかったです。 この小机城址での、ちょっと残念なトコロであります。 |
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■この先を進むと、 案内板と共に櫓台の跡があります。 |
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■上にも書いたとおり、案内板は複数存在し、また同じもの…例えば櫓台≠フ案内板も、少なくとももう一つありました。 下にその案内文を記載しておきます。 櫓台(やぐらだい) 一城には、数箇所の櫓台が置かれています。 この櫓台もその一つで、土塁と連続して作られていました。 現時は畑地として土塁は取りさられていますが、昔は井楼跡より二の丸広場へ通じる散策道の上に土塁が作られていました。 ・小机城址市民の森 櫓台=@案内板より引用 と言う事です。 上の説明は、一般的な櫓台の説明でしたが、この説明では、この小机城での様子が書かれていますね。 このように、案内板を見ながら、各オブジェを観察すると、この小机城址巡りも、より楽しめるのではないかと思います。 だからいたずら書きは止めて欲しいッス。 ■と言う事で、以下よりその周辺の写真を紹介して行きましょう。 |
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■櫓台≠フ案内板。 この写真では、何が書いてあるのかサッパリ分かりませんね。 |
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■これが櫓台≠フ跡になるらしいです。 今はこの状態ですが、その昔には、ここにドドーンと櫓が立っていたのを想像してみると、城跡巡りも、なかなかオツなものに感じてきます。 |
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■そこから更に進んでみますと、平仮名で 「せいろうあと」 と書かれた杭が見つかりました。 |
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■近くで確認すしたのがコレ。 「井楼跡」と書いて「せいろうあと」と読みます。 「井楼」は、上の案内板の説明から察して、見張り台のような物だったのでしょうね。 |
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■井楼跡の近くには、またしても案内板が。 因みにこの案内板にも、櫓台の説明が書いてあります…が、案内文は先ほどの物とは違います。 内容は上に書いたとおりです。 |
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■今回はここまでです。 まだまだ、しつこい程に続きます。 次へつづく |
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